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第22回 高校生福祉文化賞エッセイコンテスト

入賞作品

わたしがふくしを感じたとき 入賞作品

最優秀賞

思いやりの味

斉藤 桜彩(日本女子大学附属高等学校 2年)

私は母に嘘をついている。それは四歳の頃からだ。母はお弁当に必ず甘く煮たお豆を入れる。幼稚園の帰り道「お豆、おいしかったでしょ。元気になるおまじない」と笑顔で話す母に私は「うん」と答えた。でも実は、私はこのお豆が苦手だった。その後も本当の事を言えないまま小学生になり、給食が始まって私の「お豆問題」は思い出になっていた。

しかし、高校生になり再びお弁当の毎日。蓋を開けると必ず甘いお豆が顔を出す。そして私は、相変わらずこのお豆が苦手だ。

そんなある日、祖母から母へ毎年の贈り物の梨が届いた。豊水と書かれた箱を開けて母が言った。「本当は幸水が好きなんだけど言えなくてね」それは、以前「梨は豊水が一番」とおいしそうに食べる祖母に母が話を合わせたかららしい。苦笑いして皮を剥く母を見て私は思った。母も私も嘘をついている訳じゃない。相手の思いを大切に受け取って小さな我慢をしているだけだ。それが繰り返されて思いやりになるのだと。私は、そんな我慢なら一生したっていいと思った。きっと母も同じ気持ちだろう。

だから私は、今日もお弁当箱の蓋を開け、迷わずお豆を口に入れる。

「うん、これは思いやりの味だ。」

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審査員のひとこと

文章のテンポが良く、書き出しから引き込まれました。作者とその母がそれぞれ抱える秘密を上手にエピソードとして盛り込み、全体の構成も巧みです。自分が母に本当のことを言えないように、母も祖母にささやかなウソをついている様子を見て、相手への思いやりを感じたという気づきも微笑ましく思いました。

読後感もすがすがしく、完成度の高いエッセイと評価を集めました

優秀賞

新しい1ページ

橘 和乃香(中央大学高等学校 1年)

今日は午前中学校だったの、祖母からの質問に、にっこりと笑ってうなずいた。祖母は気づいていないけれどこの会話はつい五分前にも行った。私の祖母は原因不明で記憶をしづらくなっている。昔の思い出は覚えていても直前に話した新しいことを忘れてしまう。久しぶりに会って話をした時は少し忘れっぽくなってしまったのかなと思っていた。しかし、会うたびに症状が強くなっていて話をしている時に実感すると、とても寂しくなった。

最初は、少し前に話したよ、と茶化しながら訂正していた。しかし、母や姉が訂正せずにもう一度何事もなく同じ会話を繰り返しているのを見て、自分も同じことをしたいと思った。訂正すると祖母はどこか悲しげな表情を浮かべる。訂正しなければ一度しか味わえない感情を再度新鮮な気持ちで味わえる。教えないということは悪いことではない。

今日話したことを明日は忘れているかもしれない。いつか私のことも曖昧になるかもしれない。その時は思い出してもらうのではなくまた話して出会えば良い。たくさん話して思い出が絶えないようにすれば良い。一瞬一瞬私と向き合ってくれる今を生きる祖母との時間に私は幸せを感じる。

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審査員のひとこと

審査員から「いろいろな人に読んでもらいたい」と評価する声が上がった作品です。記憶障害の祖母との接し方から、家族の絆や優しさが伝わってきて心を打たれました。「思い出してもらうのではなく、また話して出会えば良い」という言葉にもハッとさせられ、優しい気持ちになりました。

教えないという考え方も素敵で、その想いが文章の中でうまく表現されています。

優秀賞

小さなサイン

村井 麻莉(駒沢学園女子高等学校 3年)

「うわーん。」

ああまたか。これで3回目だ、電車の中で泣くのは。地面に寝転がる姿を上からながめ、もう限界だと感じた。

私には16歳離れた弟がいる。2歳になったばかりの弟は、何かあるとすぐに奇声をあげ、その場から動かなくなっていた。その日も、車内の真ん中から動こうとせず、私は疲れ果てその場で立ち尽くしていた。
 「席、座りますか。」

一人の女性が声をかけてきた。私は、ベビーカーも抱っこも拒否した弟が座るわけないと思い、弟の方を見ながら「うーん。」と苦笑いを返した。その意図を理解したのか、彼女は「あっいや、あなたに座ってほしくて。」

衝撃だった。普通、小さい子に譲るものだと思っていたから。いやそれ以前に、単純に嬉しかったのだ、私が限界だと気づいてくれたことに。彼女は私が大きなため息をするのを見て、思い切って声をかけてくれたという。

幼い子は嫌なことを泣いて伝えられる。しかし、それができない人はどうするのか、きっと私のように、小さなサインを出しているのかもしれない。私は誰もが幸せであるためにそんなサインを見逃さないようにしたい。

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審査員のひとこと

幼い弟の電車内でのぐずりと、小さなサインに気づいた女性の優しさを描いています。車内での出来事を鮮やかに捉えていて、姉として大変だったであろうことが容易に想像でき、その瞬間が目に浮かびました。席を譲ってくれた女性の素敵な人柄や、その好意を受け取り、今度は自分もと決意した心情もしっかりと表現されています。

短い文章の中でも内容がストレートに伝わるという点が評価されました。

入選

母の三色団子

河野 叶夢(万象城体育官方网_bob电竞体育博彩-下载app平台付属高等学校 1年)

「あ、今日も三色団子が入ってる!」

私のお弁当には、いつもデザートに三色団子が入っている。これは、お弁当箱に入りやすい大きさに作られたミニサイズの物だ。お弁当に入れられたミニサイズのそれを食べることが、私の毎日の楽しみだった。

そんなある日、母が4本入りの三色団子を買ってきた。私はそれを夕飯の後のデザートだと思っていたが、どうやらお弁当用らしい。意味が分からなかった。普通の大きさの三色団子がお弁当箱に入るわけがない。そう思ったからだ。

私はその日の夜、さっきの事が気になり、なかなか寝付けず、水を飲もうとリビングへ向かった。すると、そこには今日買ってきた4本入りの三色団子を三等分にして、それを丸め、一個一個つまようじに刺している母の姿があった。私はそれを見てようやく理解した。あの三色団子は最初からあのサイズで売られているのではなく、母があのサイズにしてくれた、愛のこもった物だったのだ。

私は今日も三色団子を食べている。感謝の気持ちを忘れない。そう心に誓いながら、母の愛がこもったそれをぱくりと食べた。

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審査員のひとこと

お弁当箱に入るミニサイズの三色団子を作る母の情景が、高校生らしい等身大の文章から色鮮やかに浮かび上がってきました。母の心遣いと優しさが心の琴線にふれ、母の愛情に気づいた作者の感謝の思いも読み手に伝わってきます。

ほのぼのとした日常の1コマが描かれた、微笑ましいエッセイです。家族の思いやりに気づいた作者の成長をうれしく感じ、あたたかな気持ちにもなりました。

入選

言葉のない会話

瀬出井 恋美(大妻中野高等学校 2年)

私には少し変わった趣味がある。それは、車の顔を観察することだ。

キリッとした眉と目で真剣な表情をしている車もあれば、歯を見せて笑いながらドライブを楽しんでいるかのような表情をしている車もある。同じ車でも時々違った顔を見せる。運転手が楽しそうだと、車も楽しそうにしている感じがする。そんなことを考えながら車の観察を楽しむ。

しかし、朝の観察は少し苦手だ。時間に追われている運転手が多いせいか、車も焦っているように見える。渋滞で苛立っている事がよく分かる。ところが、そんな冷たい朝を明るくするいくつかのお気に入りの仕草がある。私はそれらを「言葉のない会話」と呼んでいる。例えば、乗車中、道を譲ってもらった時にありがとうという意味を込めてハザードランプを点灯させたり、手を挙げたりする仕草。歩行者に道を譲る時、どうぞという意味を込めて差し出す手、お辞儀をする歩行者。そんな光景を見るたびに心が温かくなる。

声が届くことはないけれど、お互いが相手の気持ちを考えて、思いが通じる瞬間。それはたとえ言葉でなくても確実に相手の心に届く。私はこの世界が、そんな愛の心であふれた車が笑っている世界であってほしいと思う。

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審査員のひとこと

車の顔という発想がおもしろく新鮮で、冒頭から引き込まれました。朝の渋滞や道を譲る行為など、車社会の日常の中ではよく見かける風景ですが、運転する人次第で車の顔が変わるという作者の視点はユニークで、みずみずしい感性を感じます。

運転手の仕草を会話になぞらえて、相手の気持ちをおもんぱかる心の大切さも表現されています。「車が笑っている世界」という締めくくりも効果的でした。

入選

一言の幸せ

中瀬 咲希(鈴鹿工業高等専門学校 1年)

「おかえり。」この一言で私は元気になれる。私は家からの通学が難しいため、この春から寮生活を始めた。入寮当初は、知らない人たちと慣れない集団生活、家族と離れて暮らすことに不安と寂しさでいっぱいだった。しかし、日が経つにつれ寮生活に慣れ、友達もでき毎日が楽しいと思えるようになったある日私は久しぶりに帰省した。家族と過ごせる短い時間何をしようかなと想像を膨ませながら玄関のドアを開けると、母が立っていた。そして、私を見るなり、笑顔で「おかえり。」と言った。私もいつも通り「ただいま。」と言おうとしたが、中々出てこなかった。その光景があまりにも普段と変わらない日常で。でも、当たり前ではないと気づいて。私は泣きそうになっていた。離ればなれになっても戻ってきた時には、普段と変わらず温かく迎えてくれる家族。「普段」がどれだけ幸せだったのか私はようやく知った。そして、私も照れくさくて言葉では伝えられない「ありがとう」の思いを込めていつものように言う。

「ただいま。」

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審査員のひとこと

高校1年生から寮生活を始めた作者は、家族との普段の暮らしの幸せを知ることになります。久しぶりに帰省した際の「おかえり」「ただいま」と一言交わす場面に、いろいろな自分の想いや家族の関係性を盛り込み、読み物としてまとめ上げました。

変わらない日常の会話のありがたさに気がついたのは、とても良い経験でしたね。あたたかな内容で、素直に心に響いてきました。

佳作

二人のおじいちゃん

加藤 礼野(聖マリア女学院高等学校 3年)

私はおじいちゃんと血が繁がっていない。それを知ったのはつい半年前のことだ。

私の父方の祖父は私が幼い頃亡くなってしまっているが、親族みんなから慕われていて、今でも会食では思い出話が出たりする。私はそんな祖父の孫であることを誇りに思って生きてきた。しかし。本当の祖父は私が生まれる前に亡くなっていて、私の知る祖父とは血の繁がりはないと、ある日突然知らされた。私以外の家族は当然のように知っていた。ショックだった。祖父は、本当は他人であった。

翌日、私はそれを学校の友達に話した。ただ無性に誰かに聞いて欲しくて。軽々しく世間話のように。すると、「へぇ。おじいちゃんいっぱいいていいね。」と彼女は言った。驚いた。血の繁がった祖父、一緒に過ごした祖父、どちらも家族なのだと、彼女はそう捉えていた。ものは見方しだいだ。私には祖父が二倍いてラッキーなのだ。

久しぶりに仏壇の前で手を合わせたい。天国から見守ってくれているであろう、私に命を繁いだ祖父、そして一緒に過ごした祖父、両方に向けて。

佳作

人とのつながり

川浪 咲和
(福岡県立筑紫高等学校 2年)

私がふくしを感じたのは、ある日の昼下がりだった。公園でのんびりと散歩をしていると、目の前にひとりの老人が座っていた。その老人は、手に持ったペンやノートに何かを書きながら微笑んでいた。私はその姿に惹かれ、近づいて声をかけた。

「何を書いているんですか?」と尋ねると老人は優しく微笑んでこう言った。「若い頃の思い出を書いているんだ。この公園には、亡くなった妻との思い出がたくさんあるんだよ。ここに来ると、いつも彼女と一緒にいるような気がするんだ。」その言葉に、私の心にも何かが揺れ動いた。老人の愛情深い言葉や妻への思いを綴る姿に、私は家族や愛する人との絆の尊さを再認識した。ひと、まち、暮らしの中で、老人のように誰かを深く愛し、大切にすることの尊さを思い知らされた瞬間だった。

その日から、私は日常の中で、人との出会いや繋がりを大切にするようになった。公園や街角に広がるさまざまな暮らしや人々の中に、ふくしを感じることが出来ることに気づいたのだ。愛情や思いやりを持つことを気付いた。ふくしは、心を温かく包み、新たな気づきや喜びをもたらしてくれるのだ。

佳作

母との日常

尾形 心(大阪府立工芸高等学校 1年)

「私は母子家庭だ。」

こう言うと大抵の人は心のどこかで気まずさを感じながら沈黙の後返答をする。この気まずいという感情は、他人の家庭環境などといったデリケートな部分に触れてしまった時きっと過酷な日々を送ってきた可哀想な子なのだろうと勝手に想像してしまうからではないだろうか。

昔部活で父の日の話題が出た。
「○○は父の日にいつも何あげてる?」
とある人が私に質問した。私はなにも言えなかった。私の無言を気にすることなく会話は進み、すぐその話題は消えた。悪気が一切ない純粋な質問だからこそ胸が苦しくなった。

ある日の朝、学校に嫌々行く私を玄関まで母が見送ってくれた。
「いってらっしゃい。」
その言葉に私は、エレベーターの中で自然と涙が出たことを今でも覚えている。

自分に父がいないことを一番可哀想だと決めつけていたのは私だったのかもしれない。だが、今では胸を張って言える。母子家庭で育ったこと、優しくて強い母のこと。

母と過ごす日常が私にとって一番の幸せだと改めて実感した。

佳作

I am proud of you

岩本 こと芭(日本女子大学附属高等学校 3年)

青い空色。私の英会話教室の先生の瞳はいつも綺麗だ。元軍人で、先生なのに英語のテストが大嫌い。そんな彼に「テストのために通い始めたなんて言えない」と私が思ったのは、袖口から覗く大きな刺青を見たときだ。

先生は新しい絵を彫るのだと言って図案を見せてくれた。怖いと思った。それは刺青のイメージからくる漠然とした恐怖心だった。それなのに。「亡くなった家族が生前に描いた絵なんだよ」刺青は、先生にとって大切な人の、生きた証だった。先生の瞳色の空の先、遥か遠い場所にいる家族へ。あぁ、そうか。だからそんな顔をして図案を眺めているのかと、私はただ一心に強く思った。

先日、英語のテストを持っていった。先生のおかげで、と言う前に彼が間髪入れずに言ってくれた言葉を頭の中で何度も翻訳する。
「私はあなたを誇りに思うよ」

あれ程嫌いだと言っていたテストを先生は高く掲げた。袖口からちらりと刺青が見えて、それが全く怖くなかったから、気が付いた。異文化交流のワンルームが、怖いも嫌いも塗り替えている。価値観が交差したのだ。それがたまらなく嬉しくて、私はこの気持ちを伝えられる英語を今も探し続けている。

佳作

ここにしかない いちご

塩田 波音(日本女子大学附属高等学校 2年)

「いちごのおじさん」は私が幼少期を過ごした地域の子供みんなが知る、おおらかで素敵な人だった。一見すると怪しく危なげな一軒家。その家中には所構わずたくさんの草花があった。いちご、すいか、なす、トマト、そらまめ…。いちごのおじさんの通称からは想像もできないバラエティ豊かな野菜や果物を育てているちょっとした有名人だった。

表通り側の棚にいちごの鉢が並び始めると子供たちはこぞっておじさんに声をかけた。「いちごください」。おじさんは果実ができそうな花や、時には鉢ごとに、その子の名前を書いたシールを貼る。その日から子供とおじさんの不思議な共同作業が始まる。とは言っても基本的に育てるのはおじさんで子供がいちごを受け取るのは実ってからである。しかし子供たちは毎日の通学や地域でのイベントの度にシールを見つけては成長を喜び友だちに自慢したり、自由研究用に記録を取ったり、嬉しくなってインターホンを鳴らしたり。そして時間が経って思い出つまった真っ赤ないちごを、子供たちは持って帰る。

おじさんはいちごだけでなく、都会でも地域の温かさをもたらしてくれた「私のまちの名物おじさん」だと、私は小さな自慢に思う。