松田 真由(愛知県立時習館高等学校 2年)
「ありがとう」私はあの時、この言葉を素直に受け取ることが出来なかった。
中学生の時、私には特別支援学級に通うAちゃんという友達がいた。班別行動で同じ班になることが多く、次第に親しくなっていったのだ。Aちゃんは物腰の柔らかい子で、廊下などで出会うと互いに手を振りあい、ハイタッチをして別れるというのが習慣だった。
修学旅行二日目も私たちは同じ部屋に宿泊していた。その夜、ライトアップされたホテルの周辺を探索できる自由時間でのこと。数人の友達に一緒に行こうと誘われたが、私はAちゃんと一緒に回るからと断った。そうしないと、Aちゃんが一人になってしまうと思ったから。そうして二人で回っていると、Aちゃんの担任の先生に声をかけられた。
「松田さん、Aちゃんと一緒に回ってくれてありがとう。」
その言葉に私は違和感を覚えた。確かに、他の友達とも一緒に回りたかったし、少し気を使ってしまうところもあるが、決して嫌々ではなく、楽しく回っている。Aちゃんが特別支援学級に通う子だからわざわざこのようなことを言うのだろうか、と。
しかし、Aちゃんのことを特別視してしまっていたのは私なのだと今ならよくわかる。「いつもうちの子と仲良くしてくれてありがとう」と言う両親の姿とあの時の先生の姿が重なって気づいた。先生の言葉はAちゃんを大事に思う純粋な気持ちからくるもので、私は勝手にそこへ特別な意味を付け加えてしまっていたのだと。
私の中にはおそらく無意識の偏見がまだ残っている。それらに気づくことは難しいかもしれない。それでも、諦めずに探し続け、無くしていきたい。かつて、私は二人で回る選択をしてしまったが、今後は「みんなで一緒に」という選択肢も増やしていきたい。障害の有無に関わらず素敵な人はたくさんいるのだと多くの人に知ってもらうために。
特別支援学級に通う友人を巡り、自分の心の奥に潜む偏見への気づきが描かれた作品です。自分自身の内面や周囲の人々の状況を、終始、客観的に見つめて深く掘り下げることができています。気づきのプロセスを丁寧に振り返り、真摯に向き合っている点が高く評価されました。
修学旅行のエピソードをはじめ、具体的かつ等身大の描写も良かったです。今後は「みんなで一緒に」という最後のメッセージもすばらしく、見事にまとめ上げています。
山田 桜來(中央国際高等学校 2年)
全盲の友人と歩く時、私は彼女の目の代わりになる。どうすると分かりやすいか迷う時は、「エスカレーターに乗る時は先に手をベルトに添えればいい?」などと彼女に尋ねる。「乗るよー、って言いながらそのまま進んでくれれば大丈夫!」そんな彼女の返事の通りに歩いて互いに困ったことは一度もない。一方の私には、見た目では分からない精神の障害があり、症状が強くて辛い時には訪問看護の看護師さんや学校の先生に話を聞いてもらったり、支え励ましてもらったりしている。このように助ける側になったり助けてもらう側になったりするのが私の日常だ。
「障害者差別解消法」の改正によってこの春から「事業者による障害のある人への合理的配慮の提供が義務化」された。共生社会の実現を目指し、社会的なバリアを取り除くために必要な対応について、「双方で対話を重ねて共に解決策を検討していくことが重要である」という。なんと高度なことを求められているのだろうかと驚く。
確かに社会は世知辛い。全盲の友人と歩いて見つけた駅の点字ブロックの不都合を変更してもらいたくて要望書を提出したが法的に基準は満たしているとにべもなく却下されたし、電車内でヘルプマークを付けた私が優先席に座っていると「若い子が座って!」と怒られる。そこに対話はどうしたら成立するだろう。友人に聞くように、先生に助けてもらうように、もう少し気軽に尋ね?耳を傾け?聞き返して、互いにもっと気楽に行動に移せるようにならないものかと思うのだ。手を貸し借りるのに、合理的であるかを意識する必要がない社会に、私は暮らしたい。障害の有無が配慮の根拠として求められない、助け合える社会にしたい。
そのために他人の話にきちんと耳を傾け、相手の置かれた状況の色々な可能性を想像できるよう、見聞を広めていきたいと思っている。
「合理的配慮」という言葉が盛り込まれた「障害者差別解消法」の考え方や社会に対して、障害当事者の視点から個人の経験に基づき、批判的かつ建設的に問いかけています。作者の優れた視点が高い評価を集めました。
対話による関係づくりの難しさを訴えつつも、「手を貸し借りるのに合理的であるかを意識する必要がない社会に」という意見に、多くの審査員が共感を覚えました。文章は論理的で、気持ち良く読み進めることができました。
宮内 紗那(福岡県立小倉南高等学校 2年)
初めて彼に出会った時のことを私は今でも鮮明に覚えている。彼との出会いが私の考える幸せな社会の在り方に気づかせてくれた。
私の通っていた小学校では六年生と一年生がペアになり、行事や身の回りのことをサポートするという交流があった。その時ペアになったのがむっちゃんだった。むっちゃんは列に並んでいられず、目を合わせて話すことが苦手でみんなと同じように上手くいろんなことが出来ない子だった。絵本を読んでも、車で一緒に遊んでも私に見向きもしなかった。
同級生がペアの子と遊んでいるところを見て悔しい思いをすることも多かった。私は仲良くなりたい一心で、厚紙で作ったバスのお守りを手渡した。するとむっちゃんはありがとうと私の目を見て呟いた。その日、彼がそれを手放すことはなかった。
今年の夏、小学六年生の弟の運動会を観に行った。弟はリレーに自信があるらしく、「リレー、一番前で見ててよ」と息巻いていた。六年生の学年リレーは運動会最後のプログラムで例年一番盛り上がる競技だ。会場のボルテージは最高潮に達している。そこであることに気づいた。一人だけ進んだスタート位置にむっちゃんが凛と立っていることに。五年前と比べ、心も体も大きく成長していることが一目見て分かった。
ピストルの合図で一斉に走り出した時、私はおもわず彼の名を叫んだ。決して速くないが、前を向き足は歩みを止めない。彼の懸命さが伝わり観衆の拍手が自然と湧き上がる。みんな同時くらいで次の走者にバトンが渡った。胸の奥が、グッと熱くなる。
条件を変えることで彼も同じ競技に参加し活躍することができたのだった。
「福祉」とは誰もが幸せで快適に過ごせる社会を作るため、協力し合う事を指す。これこそが多様性の姿なのではないだろうか。ちょっとした工夫や互いに認め合う心を持つことが同じ社会で生きることだと私は思う。
5年前にサポートした小学生の男の子を運動会のバトンリレーで見かけた作者。彼のスタート位置が他の子とは違うことから、福祉のあり方や公平な対応について考え、意義を理解していく様子が読み手にも伝わってきます。リレーの際の工夫から福祉の本質や多様性について学んだという結論が良いメッセージになっており、具体的なエピソードを交えて過去と今を対比するコントラストも効果的でした。
改行や字下げなど文章作成のルールに則って書かれている点も、評価に繋がりました。
金 水珍(大妻中野高等学校 2年)
危ない、そう思ったが私は動けなかった。白杖をついた男性は駅の柱にぶつかった。私も周りの人たちも、ただ見ているだけだった。その男性は少し驚いたあと、すぐに歩き出してしまった。
これは数年前の出来事だが、私は今でもその光景を鮮明に覚えている。思い出すたびに、「あの時声を掛けられていたのなら」と後悔の念が胸に残る。
ある日の朝、学校の最寄り駅でホームから階段へと歩いていた。通勤ラッシュの雑踏を避けるように歩いたその時、今にも壁にぶつかりそうな白杖をついた女性が目に入った。
私はとっさに「危ないですよ」そう声をかけた。その女性は立ち止まり、そして壁にぶつかることはなかった。
ほっとしながら私はその女性に目的地を聞き、改札口まで付き添うことにした。手を取りながら階段を一歩ずつ下り、そして改札口まで見送った。
「ありがとうね。」そう言ってその女性は改札口から出た。
そして私も足早に学校に向かった。嬉しさと少しの恥ずかしさを感じながら。
時々、同伴者と歩くその女性を見かける。もちろん、話しかけるなんてことはしないが、少しだけ心の中で「あの時声をかけられてよかった。」と思った。
困っている人がいたら助けることは、小さな頃から当たり前のように教わってきた。しかし、成長するにつれ、その「当たり前」ができなくなっていく。
「助けたい」そう思いつつ、助けない理由を探してしまう。
だからこそ、私は困っている人に躊躇わず声をかけようと思う。小さな行動が誰かを支え、「助ける勇気」を持つ人が増えれば、世界はもっと温かくなるだろう。
白杖を持って歩く方への前回と今回の対応の違い、助ける勇気と助けない理由など、対比をうまく使って文章が組み立てられ、エッセイとして非常に巧みに書き上げています。具体的な体験を自分の中で消化してきた作者の想いが、真っすぐに伝わってきました。
小さな後悔を忘れずに行動できたことは、ささやかであっても、とても大切な経験になりましたね。うれしさと恥ずかしさなど、内面の描写も高校生らしく好感を持ちました。
大塚 しずく(徳島県立脇町高等学校 1年)
トントン、ジュー、ザー、カチャカチャ。
様々な音がまるで音楽のようだ。きっと多くの場所で聞こえるあたり前の音だろう。私は、そんな幸せへの音を鳴らす人になりたい。
空が明るくなってくると、目覚ましがなくても起きられる。暑さが苦手な私にとって、夏の数少ない良いところだ。そう思いながら、キッチンで手を洗う。水の音で心も洗われていく。ツヤッと輝く炊きたてのごはんを頬張りたい気持ちを抑え、四角い箱につめる。さて、次は主菜だ。今日は鶏の甘辛炒めを作ろう。ジューッと焼くと香ばしいタレと肉汁がはじけて、お腹を鳴らせる。よし良い感じ。後はオクラをトントン切って、ごまと和える。それに、作り置きの煮物と真っ赤なトマトで完璧だ。順調、順調。これは一種の演奏だ。
「フゥー。」
息を整える。ここからが勝負だ。平日の朝、学校は待ってくれない。素早く的確に弁当箱に詰めていかなければ。カチャ、コトッ。お箸やトングを使う。何だか指揮者の気分だ。
「……できたーっ!」
無事、本日の公演が終了し、思わず声が出る。「おっ今日も美味そうにできとんなー。」
家庭菜園から野菜を収穫してきた父が顔を出す。褒められて、口がにやける。
「しずくが作ってくれて、助かるんよ。」
母が洗面所から顔を出す。そして必ず、二人からこのフレーズが奏でられる。
「ありがとう。」
ああ、この言葉で作ってよかったと思える。高校に入ってから家族のお弁当を作っている。最初は両親の負担を減らす為だったが、今はこの役割に誇りを感じている。
こんな日常が、些細な感謝と行動が積み上げていく、大きな幸せを。料理でも何でも良い。小さな行動の音と、「ありがとう」のメロディーを皆で大切にしていきたい。今の私の場合は料理が、その音。幸せへの音だ。
さあ今日も幸せへの音を鳴らしていこう。
日々の家族へのお弁当作りを、音とハーモニーという切り口からテンポ良く描いた作品です。「トントン、ジュー」という擬音の書き出しがユニークで、音が聞こえてくるようでした。他の作品にはない音に着目した点が新鮮で、いろいろな切り口があるものだとも気づかせてくれました。
ごく当たり前の家庭の風景の中で、軽快な音から日常の幸せを感じとっていることが伝わりました。リズミカルで歯切れの良い文章は、読んでいて楽しかったです。
垣本 千尋(京都聖母学院高等学校 3年)
「どうして、助けてくれたんですか」
その一言は、見知らぬ人に向けられた。
やけに暑い春の日、私は駅のホームで熱中症になりかけたことがある。
その日は、体育でリレーをした後すぐに移動教室があるなど、忙しい日だった。水分補給が十分にできなかった私は、耳が遠くなりうずくまったところを、初老の女性に助けられたのだ。しかし、激しい腹痛も相まって、私から感謝を伝えるのは難しかった。彼女は「駅員さんを呼ぼうか?」と言ってくれたのだが、私は迷い、顔を渋くさせるのみ。結局女性の判断で、駅員さんはその場に来てくれることになった。友人との約束がありながら電車を一本遅らせた彼女とその原因である私は、十分間ほど静かな時間を過ごした。
予定があるのなら、家族や友人ではない、まったくの他人である私には構わなくて良いのに。助かった私にしかメリットはないのに。そんな思いから出たのが、冒頭の言葉だ。余計なことを言ってしまったと焦ったが、女性は私の手に自分のそれを重ねていった。「そういう性分なの、ほっとけないんだわ」
彼女の手は、生きてきた年数を感じさせた。「そうなった理由は……?」「歳をとるうち、自然となったねぇ」こんな失礼な質問にも、優しく応じてくれる女性。私は、人間としての自分の「小ささ」を恥ずかしく思った。
駅員さんが来ると、女性は私にさよならをした。私は精一杯の感謝を伝えたが、女性が去った後も、その言葉は頭から離れなかった。私は、あれほど他人を思いやった経験がない。
成長するうち、人は自衛のために損得勘定を覚える。私のような人がその一切を捨て去るのは、不可能なことかもしれない。しかし、この体験を通じ感じた人の心の尊さは、これからも消えないだろう。
まだ遅くはないだろうか。私もあの人のようになりたい。
駅のホームで具合が悪くなった作者を助けてくれた女性とのやり取りを、高校生らしい素直な筆致で書いています。肩肘はらず自然体で人を助けることができる女性の魅力がうまく表現されていて、読み手の心を捉えました。
女性の飾り気のない言葉も素敵ですし、「私もあの人のように」という最後のメッセージも良いですね。言うべきことをしっかりと盛り込み、優れた構成になっています。エッセイとしてスムーズに読み進められ、心地良い読後感も魅力でした。
小泉 杏奈(大妻中野高等学校 2年)
「何かお手伝いしましょうか?その荷物持ちますよ。」
ホーム幅の狭い駅で、帰りの電車を待っていた時のことである。右手に白い杖、左手には重たそうな荷物を持ったお年寄りが、点字ブロックの上をゆっくりと歩いている。私は地面に置いていたカバンを持って少し移動した。ふと、お年寄りがホームから転落してしまわないか心配に思って振り返ると、一人の女性がそのお年寄りに笑顔で声をかけていた。二人ともにこやかに会話をしている。私はいつの間にか女性の行動を少し複雑な気持ちになりながら見ていた。見て見ぬふりではないが、何かを思った瞬間に行動できたら、手助けできていたら、と思った。声をかけることに対して、一瞬のためらいがあった。恥ずかしさを感じたり、相手の反応が思っていたものと違ったりすることを恐れたからだ。他の人が助けてくれればなという気持ちさえ、心のどこかにあったのかもしれない。そんな自分がとても恥ずかしくなった。
他日、バスに座っていると大きなお腹を抱えた妊婦さんが乗ってきた。手すりに掴まってバランスをとりながら立っている。バスの揺れでお腹をどこかにぶつけたら大変だと思い、「良かったら席どうぞ。」と勇気をもって声をかけた。すると女性は、「ありがとうございます。」と笑顔で応えてくれた。少し照れ臭かったが、胸がいっぱいになった。そこには、自然と小さな『しあわせ』が生まれた。
全く知らない人に声をかけるということは簡単そうで難しい。しかし、少し勇気を出してみることは誰かに寄り添い、思いやる第一歩になると思った。
街のあちこちに小さな『しあわせ』を感じる人が増えれば、きっと世界は平和で明るくなるだろう。
自分の中で葛藤があり、全ての場面では難しいかもしれないけれど、勇気をもって行動してみることをこれからも続けようと思う。
松戸 悠結葉
(中央大学高等学校 2年)
テレビを見ている時にとあるコメントに違和感を持った。「障害を持っているのにこんなにも頑張っていてすごく感動しました。」といって液晶に映る人は目頭を押さえて泣いている。私はこのコメントに対して疑問に思った。別に障害があるからといって頑張らなければいけない理由もないし頑張らなくていい理由もない。全ての人が頑張る権利を持っていて、自由なのである。
私は社会的に見ると「健常者」である。そして私の姉は社会的に見ると「障害者」である。そして、多くの人は私のことを「障害を持った姉がいる妹」という認識で私のことを見るだろう。
これら2つのことに共通することは全て「障害」という言葉にだけ焦点を当ててそれを先入観がある状態で評価し、認識しているということだ。
確かに「障害」という言葉は近年よく見る言葉になり話題になりがちだ。しかしそればかり焦点を当てることによってその人自身の個性を全て「障害」という言葉で片付けているだけにすぎないと感じる。私は姉のことを「障害者」だと思って接したりわざわざ自分から補助するようなことをしない。別にこれは嫌がらせではなく「障害」を過度に意識したり姉について理解しているためやらないというだけである。家族の一員として、姉としてお互いに支え合えば良いものを一方的に厚かましくやるのは偽善行為になってしまう。「障害者だから」といって全てのことができないと勝手に判断され、できない前提で評価することははたして正しいのだろうか。
私は全ての人が正当に評価されるのも大切だと思うが、評価される前のその人のポテンシャルを勝手に「健常者」が判断するのはよくないと思う。勝手な視点を持たずに、その人自身の最初から最後までを見届けてくれる社会であってほしいと心から願っている。
日丸 媛令佐(大妻中野高等学校 2年)
家に帰りふとカレンダーを見る。「うわ今日塾か嫌だなー」そう言いながら私は教材を塾専用バッグに投げ入れる。最近変わった個別指導の先生。すごく美人で綺麗なお姉さんだからつい猫をかぶってしまう。そんなことを考えて片道20分を自転車で走り抜ける。
遅刻寸前になってしまい塾の教室に慌てて入る。入ってすぐ椅子に座る明るい髪色の先生を見つける。「先生!こんにちは!」「こんにちは、今日も数学の勉強にする?」猫かぶりの笑顔を貼り付けながら私は持ってきた教材を取り出そうとする。「今日は英語をやりたくて…あれ」光り輝くものが目に入った。それは左手の薬指の指輪。「せ、先生その指輪」思ったことがそのまま口に出てしまった。「あ、これ?そうなの実は一昨日結婚したんだ」恥ずかしそうに語る先生。そこから私の脳みそは恋愛脳に切り替わってしまった。
「え!おめでとうございます!お相手どんな人なんですか?!どのくらい付き合ってたんですか?!」質問責めする私に驚く先生。沈黙が続いた後失礼だったと口を慎むと先生は優しく微笑みスマホを取り出す。「右の人が私の結婚相手」「この人が…!、あれ」不思議に思った私に気づいた先生が口を開く「あそうなの私実は男なんだ」私は盛大に拍手をする。「本当に素敵なことです!おめでとうございます!」そう言うと先生はすごく驚いた顔をする。先生曰くトランスジェンダーのことを話すとたいてい気まずい雰囲気になり気を使わせてしまうらしい。だから素直に祝ってくれた私を珍しく思ったようだ。
その日の授業はほとんどが私の質問で終わってしまい、授業が終わった後先生は授業が進まなかったことに対してしょぼんとしていた。笑顔でさよならを言うと、先生は幸せそうな笑みでさよならと返してくれた。鞄を自転車かごに放り込み立ち漕ぎで鼻歌を歌いながら家路を駆け抜けた。
河邉 結希(名古屋大谷高等学校 2年)
私には姉がいる。その姉はLGBTQでいうところのQである。そして恋愛対象は女性だ。
そのことを知ったのは私が中学生の時だ。どのように知ったのか具体的には覚えていないが、ある日姉から女性の恋人がいると告げられた時に理解したのは覚えている。私には衝撃だった。その時、私は「本当にそういう人がいるんだ。」と思ってしまった。そんな思考に至ってしまった私に少し苛立ちを感じた。姉がLGBTQだったとしても私の大事な姉であるという事実が変わるわけではないというのに。私はそれまで、自分の性について考えたことがなく、これを機に気になるようになった。
LGBTQという言葉は聞いたことはあったが詳しいことは分からなかった。そんな時、中学校の授業で世の中のニュースについて自分が気になったことをまとめるという課題が出された。私は同性婚のことについて調べることにした。未だ日本では認められていないのが現実だ。調べれば調べるほど姉のことがよぎり、他人事だとは思えず認めて欲しい気持ちが湧き上がってきた。もっといろんな人たちが向き合っていくべき問題だ。他人事ではない。
一度姉に同性婚について聞いてみたことがある。姉は「愛に性別は関係ない。」と言った。私はその言葉にはっとした。確かに誰がどんな人を愛そうと関係はない。
世の中にはたくさんの人がいる。みんなそれぞれ思いや考えは違う。でもまだ自分が自分であることを認められない人もいる。実際姉は、周りの人の温かさで自分を見つけることができたと言っていた。今、姉は姉らしく生きている。
誰もが自分らしく生きられる世の中になって欲しいし、自分もそのために何ができるのか考えていきたいと思った。
「あなたがあなたを愛せる社会に。」
小泉 温大(北海道登別明日中等教育学校 6回生)
アシィ?エルウィン?ヨハンス?ゴルメン。私の親友の名前だ。ヨハンスはアフリカ系でほぼ日本育ち、周りから見ると良くも悪くも一際目立つ存在だ。彼はある意味注目の的になることが多く、それは世間一般的には差別といわれるものだった。
私もその時は、人を差別したり小馬鹿にしてしまううちの一人だった。中学生になったばかりだったからか話題を作るために彼を小馬鹿にするようなことを冗談のような感覚で言ってしまっていた。しかし、とある日のことが私を変えるきっかけになった。
中学最初の文化祭の日、部活の出し物の仕事を終え係の仕事に向かうとき、廊下でヨハンスとばったり会った。歩きながら彼とたわいもない日常会話をしている時なぜか心に小さな針が刺さった感覚がした。そこで気が付いたのだ。
「あぁ、自分はなんてひどい奴なんだ。」と。私は友達との会話のネタを作るためだけに彼のことを馬鹿にし、そして今となっては都合よく彼と話をしている。それはおかしい。幼稚だった私はそれに気づくのが遅かったのだ。そう思いたったとき、体が動いていた。
「今までのことごめん。」
彼は最初、なぜ私が謝っているのかが分からなかったらしい。慌てて説明するとヨハンスは
「謝ってくれてありがとう、そんなことはもういいから一緒に飯食いに行こうぜ。」
そして、心に引っかかっていた針がスッと取れた気がした。
その時の彼の笑顔が今でも忘れられない。
あれから五年半経った今、色々ありヨハンスは別の学校に転校してしまったが毎週土日には図書館で一緒に勉強したり、カラオケに行ったりしている。そしてたびたび彼は言う。
「あの時お前が話しかけてくれてうれしかった。」