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「おばあちゃんが壊れていく」 |
芝浦工業大学柏高等学校 三年 沖山 京 |
この正月三日、汚れた畳を拭きながら、私は目の前の現実を容易に受け入れることができませんでした。トイレを失敗した祖母は汚れたままで、呆然と立ち尽くしていました。「シャワーしよう。」という母の呼びかけにも反応しません。パニック状態です。やっと落ち着いた頃、掃除を続ける父と私に「ごめんね。ごめんね。」と言い続けました。おばあちゃんが壊れていく……と私は思いました。
健康自慢だった祖母は病院にも殆どかかりませんでした。が、昨年、脳梗塞の影響で布団からの寝起きが不自由となり、ベッドを借りるため、八十六歳にして始めて介護保険の申請をしました。
正月を境に祖母は様々なこと ―彼女にとっては屈辱的なこと― を受け入れざるを得なくなりました。週二回のデイケア、リハビリシューズ、一点杖から四点杖、そして紙パンツや尿取りパットの使用です。かつて、老人施設でボランティア活動を二十年以上続け、お世話する側であった祖母は、自分にこんな日が訪れるとは思っていないようでした。
自身の急な老化の訪れに戸惑い、現実との折り合いがつかないで葛藤している祖母の背中が丸く、小さくなったように感じました。それでも「大丈夫。」と言いはり、結局トイレを失敗してしまう悪循環が続きました。
「何でこんなになっちゃったんだろう。」
祖母はポツリと涙をうかべて言いました。それは私が祖母の下着を替えている時でした。さぞかし複雑な気持ちなのだろうなぁと、私が改めて痛感したのもその時でした。
これからどうなるのだろう。祖母のみでなく私達家族は今、介護の入り口に立ってこれから一体どんな方向に向かうのか不安と戸惑いの中にいます。
しかし、ただひとつ明白なのは、家族全員が協力しなければ、この時間を乗り越えてはいけないと言うことです。おばあちゃん、私も手伝うよ。ごめんねなんて言わないでね。 |
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高齢社会の大変な一面を象徴するような衝撃的な内容が書かれています。数年前までは高齢者施設でボランティア活動をしていた方が、介護される側になって、その現実を受け入れられない気持ちと、戸惑いと不安でいっぱいの家族の気持ちがきちんと表現されていて、読んでいる私たちも切なくなりました。高齢者問題の深刻さと厳しさが伝わってくるエッセイですが、最後に書かれた「おばあちゃん、私も手伝うよ」という作者の決意に救いがあります。
ただ、どんな状態であっても、人間を「壊れていく」と表現することには違和感を感じました。 |
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