|
 |
 |
「温かいバリアフリー」 |
文教大学付属高等学校 三年 森田 一茂 |
久しぶりに駅のトイレを利用して驚いたことがあった。トイレの入り口には点字で、そのトイレの見取り図が描かれており、音声案内では「左が男性用トイレ、右が女性用トイレ…」というように細かくその場所を知らせていたのだ。私はこれを見て「すごいな」と感心したのと同時に、この案内は本当に役に立っているのだろうかと疑問に思った。
点字ブロックやスロープ、エレベーターなど今やバリアフリーは街中にあふれている。しかしその中には本当に必要なのかと思わせられるものもある。
私の住んでいる横浜市鶴見区には、産業道路と呼ばれている大きな幹線道路がある。常に大型トラックが行き交っているその道路にも、視覚障害者の方のための音声付信号機と点字ブロックが設置されている。だが、点字ブロックの設置されている地面にはいくつもの段差があり、ましてや交通量のとても多いこの道路を、視覚障害者の方が一人で渡れるとは思えない。絶対に誰かの手が必要になるだろう。
私は、この「誰かの手」というのが一番のバリアフリーなのではないかと思う。バリアフリーの設備以上に、本当のバリアフリーとは「人が人を思いやる心」なのではないかと思う。冒頭で述べたトイレの設備も、設置した側だけが「設置した」ということにだけ満足しており、そこには人間本来の温かさが見出せないのかも知れない。
これからもバリアフリーはますます発達してゆき、そこには精密な機械が使われるだろう。だが、誰かが少し手伝えば事の済むバリアまで、全てを機械の導入で済ませてしまおうという考えには、何とも言えないむなしさがある。人対人のバリアフリーには、機械もかなわない。「誰かの手」―それは何よりも優れたバリアフリーだということを、私達は忘れてはならない。 |
 |
 |
設備や機械も大切ですが、それ以上に「誰かの手」が何よりも必要なバリアフリーであることに気付いた作者の考えがうまくまとめられています。第四分野のテーマである“社会のなかの「どうして?」”にしっかり沿った作品であることが、審査員全員から高い評価を受けました。文章もわかりやすく、よくまとまっています。 |
|
|
 |
|
|
 |
Copyright c2005 Nihon Fukushi University. All rights reserved.
本ホームページからの転載を禁じます。 |
|
|
|