私は、とある自営業の小さな飲食店でアルバイトをしている。そこでは、地元の人はもちろん、他府県からの観光客も数多く来店する。けれど私には、どうしても対処しづらいお客さんがいる。それは、海外からの観光客だ。 ある日私が店内のテーブルを拭いていると、私を呼ぶ声がした。振り返ると、そこには一人の韓国人女性。彼女はスマートフォンの画面を私に見せてきた。それは翻訳アプリで韓国語から日本語へ翻訳された文のようで、少し不自然な文章で「空調が寒いです」と書かれている。エアコンが効きすぎているんだ。私は慌ててエアコンの温度を上げに行った。しかし上げたは良いものの、あの女性の適温になっただろうか。私は一瞬、行動に迷った。声をかけようか、―そう迷うのも、私が前から韓国語を勉強していたことが原因の一つにあった。「????????(温度は大丈夫ですか?)」その言葉を、私は知っていたのである。 言おうか、言わないでおこうか…そう迷った末に時間は経ち、韓国人女性は会計を済ませて帰ってしまった。…もし私が、勇気を出してあの言葉をかけることができたなら、きっと彼女の旅行の思い出に、ほんの小さなものではあるが、幸せを刻むことができたかもしれない。私は勇気が出せなかったがために、それを逃したのだ。 広がる後悔。それを噛みしめ、彼女が座っていた席を片付けていた。と、その席に、ぽつんと置かれたスマートフォン。私はすぐさまそれを手に取り、彼女を追いかけ、叫んだ。「????????!(携帯忘れてますよ!)」…私は自分の口から出たそのフレーズに、自分で驚いた。咄嗟に、口から勇気が飛び出したのだ。 彼女は満面の笑みで、ぎこちなく「ありがとうごじゃいます」と繰り返した。私はその出来事から、「勇気を出す喜び」を知った。
第3分野の受賞作の中でも、この作品が最もエッセイらしいと評価しました。最初は自分から声をかけることができなかったと後悔していた作者が、スマートフォンを忘れていることに気づいて追いかけ、勇気を出して声をかけた時の喜びが素直に書かれており、人と人がどう関わっていけばいいかを考えさせる作品になりました。スマートフォンを忘れた韓国人女性を必死に追いかけて、咄嗟に韓国語が口から飛び出したというシーンに説得力がありますし、「口から勇気が飛び出した」という表現も秀逸です。