私の兄は、胎便吸引症候群による仮死状態で生まれ、母が顔を見る間もなく新生児集中治療室へ運ばれた。脳性麻痺一級という重い後遺症は残ったものの、一命を取り留めた兄は奇跡の命だ。 「可哀想」兄と過ごしてきた中で何度も耳にした言葉が今も鮮烈に心に残っている。好奇の目、噂、言葉での攻撃。そういう場面に出会うたび、私はいつも考える。「普通」とは何なのか、障がいはどうして「例外」として扱われるのか、と。障がい者は異常で、健常者は普通だと、あまりにも明白に、それが「普通」だと決めつけられている。現在、バリアフリーやユニバーサルデザインといったものが増え、確かに暮らしやすくはなっているものの、心の壁はまだ高い。差別や偏見をなくすには、目に見えないところを意識することが必要だ。 「今、幸せなのか分からない」と母は言う。いわゆる「普通」として産んであげられなかったことを悔やんでいる。しかしそれは、障がい者が不幸で、普通ではないと認めてしまうようで悔しい。兄の夢は、東京オリンピックの聖火ランナーだ。ハンデがありながらも自信を持って夢を語り、努力する兄の目はきらきらと輝き、精一杯生きる姿は兄の「瑞生」という名前にピッタリで、とてもよく似合っている。決して兄は不幸ではない。 私は普通であることが幸?不幸の判断になっているのはとても悲しいことだと思う。そして、健常者が普通で障がい者は例外として扱われる社会に寂しさを感じる。健常者か障がい者か、幸せか不幸か、そんなことで命の価値は変わらない。人間に、「普通」も「例外」 もあるはずがないのだ。障がいは不幸ではないこと、誰もが夢を持っていいこと、ハンデは「特長」であり「特徴」ではないことを、文字で、言葉で、伝えていきたい。そして私はこれからも、兄と共に生きる。瑞々しく生きていく。
タイトルの「瑞々しく生きる」が、エッセイの締めにも使われており、作者の前向きな姿勢を良く表しています。一命を取り留めたものの、障がいが残った兄を「奇跡の命」ととらえ、大切な家族として共に生きる作者の様子が伝わってくるステキなエッセイです。「『普通』とは何なのか?」と問いかけ、「障がいは不幸ではない」と確固たる思いを伝えていきたいという作者にエールを送ります。 そして、「ハンデは『特長』であり、『特徴』ではない」という同じ読みで違う意味を持つ言葉を効果的に使っている点に表現の工夫を感じました。